山梨県議会 2020-09-01 令和2年9月定例会(第3号) 本文
京都盲唖院の初代院長を務めた古河太四郎氏は、「目や耳の不自由な子供たちへの教育の最も重要な部分は、恕(思いやり)が大切」と説きました。目や耳の不自由な者の理解を進めることは大事であり、中でも大事なのは思いやることだと示されました。
京都盲唖院の初代院長を務めた古河太四郎氏は、「目や耳の不自由な子供たちへの教育の最も重要な部分は、恕(思いやり)が大切」と説きました。目や耳の不自由な者の理解を進めることは大事であり、中でも大事なのは思いやることだと示されました。
府立大阪北視覚支援学校は、府立中央聴覚支援学校と同じく、盲人実業家五代五兵衛氏が明治三十三年に設立した大阪盲唖院を起源とし、昭和三十八年に東淀川区に移転、その際に建てられた校舎が現在築五十五年を超え、老朽化問題に直面しています。さらに、校舎の床面積から消防法上の設置義務がないとはいえ、スプリンクラーが設置されていません。
条例案の骨子を見ておりますと、1つ特徴として手話というものと、手話以外のコミュニケーション手段をある意味並列的に取りまとめた形の条例案の骨子になっているのかなという理解をしていますけれども、そういう理解でいいのかというのと、検討会では京都盲唖院の設立など、本府は常に先進的に取り組みをしてきたと。
長い設立のための準備期間を経て、1878年に「日本最初盲唖院」として開学した聾学校は、明治期から時に応じた学科を設立し、聴覚障害児に最適の教育を志向し、提供し続け、京都の伝統を生かしながら新しい芸術を教育に生かす「京都アート科」、lCTを縦横に使いこなす情報教育を基盤とした「情報科」を設立し、「普通科」においても「ベーシックコース」「わあくコース」と充実を図っています。
岡山県立岡山盲学校は,岡山県で最初に障害児・者のための教育が行われた学校で,1908年(明治44年)11月25日に,私立岡山県教育会附属盲唖院として,岡山市一番町,これは現在の番町保育園のあるところでございます。ここに設立をされました。2008年に創立100周年を迎え,ことし108年目となり,次の100年に向けての歩みを続けています。
その後、日本でも1878年に日本初の盲唖学校である京都盲唖院が設立され、1920年には鳥取聾学校が設立されましたが、1933年に時の政府は聾教育においては、口話法を推進し、手話による教育が事実上禁止される事態となりました。 こうした歴史的背景が手話の普及を妨げ、今日においても決して十分と言えない状況をつくっているのではないかと推察をいたします。
本当にいろいろな場でそういう障害を持っておられる方々、そして府立の支援学校の生徒さんの作品とかを見ていただく機会が多くあったらいいですねという話をさせていただいてたのですけれども、6日には日本で初めて障害を持っておられる方々の教育を始められた京都盲唖院資料展も含めて作品展を開設していただきましたけれども、1カ月たって、皆さんからの反響とかそのようなところは、どのようにお聞きになっているでしょうか。
そして、ちょうど「京都盲唖院」発ということで御案内をいただいておりまして、130年も前に日本の中で京都が初めて視覚障害、聴覚障害を持っておられる方々のための学校を創設されたということで、4月14日まで京都市の学校歴史博物館でそういう取り組みの紹介をされているということで、私もぜひ行ってみたいなと思っておりましたけれども、今お伺いをいたしまして、その宇治に今度開設される学校でどのような支援を聴覚・視覚障害
先日、私は、京都市学校歴史博物館で開かれている特別展、「『京都盲唖院』発!障害のある子どもたちの教育の源流」を見学してまいりました。日本で初めて明治11年に開設された京都盲唖院は、現在の盲学校や聾学校など、障害のある子どもたちの教育の、まさしく源流であります。それだけに、展示品の一つ一つが草創期の熱い思いの波動を発しているようで、私は深い感銘を受けたのであります。
次に、手話の普及についてでありますが、京都は全国で初めての聾学校であります京都盲唖院が明治11年に開設された地でありまして、また手話を学ぶ全国初の手話サークルが結成された地でもありますので、手話に対する関心が非常に高いところであると考えております。
もともと京都府は、1878年(明治11年)5月24日に府立盲唖院を設立して以来、日本の障害児教育の発祥の地であり、この与謝の海養護学校もその設立時には「さすが先進の京都府」と、全国の障害児とその父母、教職員など関係者を大いに感心させ、励ましたものでした。
特に障害児教育の問題は、たとえば視覚障害者教育運動は、わが国において明治の初期にようやく外国人宣教師や少数の先覚者の手によって明治8年、慈善事業として京都市に盲唖院が開設をされました。東京市においては明治13年、楽善会訓盲院が開設をされたと言われているのであります。